1930年生まれの馬教授は、日中戦争、国内戦、新中国成立といった社会の荒波の中で、二胡を学び、教え、その後、チェロを学ばれました。現在第一線で活躍する多くの二胡演奏家を育てた馬教授の科学的な指導法の確立には、どうやら"チェロとの出会い"が重要な役目を果たしたようです。今回は、その指導法や、現在の若い世代の演奏の問題点にも話が及びます。お話を伺っていると、教授の明晰な分析力に「さもありなん」と首肯するしかありませんね。(編集子)
<後編のはじめに>
馬教授は「音楽に内在するテンションは先ず、物理的な音響の形として現れる。その音響の形は各種の演奏技法から生まれたものである。」と言う。教授の指導は、特に基礎的なテクニックの訓練を重視しているが、その訳がこの言葉の裡にあるのだろう。テクニックを重視するのはどの楽器の指導者も同じであろうが、馬教授が他と違うのは、その訓練法が科学的であるか、そして目標が明確であるかを厳しく追求するところである。教授がどのように厳しいトレーニングをしてその科学性を追求し、スタイルのまったく違う名演奏家達を育てたのか、教授の話の中から徐々に浮かび上がって来るだろう。
馬 友徳(マ・ヨウドゥ/ま・ゆうとく)
1930年1月山東省斉河県に生まれる。中学生の時、著名な二胡演奏家・陳朝儒先生に師事。1949年山東省人民文工団に参加、文芸工作に従事する。1950年華東大学文芸系音楽科に入学、ドイツ出身のチェリスト、マンジャークを師としてチェロを学び、同時に二胡教師を務める。その後、山東大学芸術系音楽科に転入。1952年より1957年まで、上海音楽学院にてチェリスト、陳鼎臣教授に師事し研鑽を積むと同時に、同学院で二胡教師を務める。1958年南京芸術学院音楽系に転属、同学院で教職を務め現在に至る。これまでに同学院音楽系副主任も務めた。
馬教授の研究態度は厳しく、指導法は科学的である。門下生は互いにしのぎを削り、多くは全国各地で二胡演奏家として活躍している。中でも、"東方芸術大師"との名声の高い陳耀星、"世界的なレベルの弦楽器演奏家"として知られる朱昌耀をはじめ、王少林、 小珠、高揚、周維、許可、余恵生、卞留念、陳軍、ケ建棟、召喚等はいずれも、内外の多くのコンクールで一位、二位に名を連ねており、またより若い世代の 立元、顧懐燕、韓石等は、中国の全国レベル、或は地方レベルのコンクールで続々と優秀な成績を収めている。また、長年にわたり修士課程の指導教師を務め、既に大学教授となっている銭志和、欧景星、楊易禾等を育てた。
1993年11月、中央テレビ局の番組「東方時空、東方之子」において馬友徳教授の教育家としての成果が特集として報道され、「二胡界の馬軍団」と称賛された。1950年より現在に至るまで、60年にわたり演奏と教育方面の活動にその生涯を捧げ、各地のテレビ局、音楽出版社で「月夜」「光明行」「喜慶豊収」「歓慶」等の二胡独奏曲、「龍舟」「閙春耕」等の自作民楽合奏曲、及び協奏曲「孟姜女」(合作)のレコーディングを行っている。発表した論文に「談二胡基本功訓練」「二胡教学散論」等があり、著書『名家教二胡』、VCD『大師教二胡』、CD『馬友徳二胡演奏専輯』、主編『江蘇二胡考級教材』等が出版されている。
現在まで、教育者として多くの賞を受賞し、また中国音楽家協会、江蘇省音楽家協会、中国民族管弦楽学会等で要職を歴任した。