第22回 杉原圭子先生の各種二胡(前編)
そろそろ寒く長い冬を越え、春の訪れを感じるようになって来たが、皆はこの厳しい寒さを元気に乗り切ることができたじゃろうか? ご存知アルフー老師じゃ。この爺はというと、今の時期は日本に来てから患ってしまった花粉症を拗らせておるぞ…グスン(泣)。
さて、前回までは暫く名古屋に滞在して、中部圏の先生方に愛器を見せてもらったが、今度は西方にマニアがおるとの話を情報筋から入手したため、花粉ゴーグルとマスクの完全防備でキン斗雲を西へ走らせたぞ! 降り立った場所は、京都駅からも程近い、京都市の中心部にある風情のある京町家じゃったぞ。この街で教室を開講し、名器を所有しているのは、二胡講師で演奏家の杉原圭子さんということじゃった。噂では関西の重鎮と聞いておったが、お会いすると、柔らかいお人柄の中にも凛々しさの漂う、とても魅力的な女性じゃったぞ。いきなり楽器を見せて欲しいと願い出た、図々しくも無神経なこの爺の訪問を、とても寛大に受け入れてくれたぞぉ〜!!(泣)
杉原さんは、1997年より北京の中央音楽学院へ聴講生として留学し、滞在中に、劉天華の孫弟子であり、演奏家・教育家である張韶先生(元中央音楽学院教授)に師事、劉天華の教育方法、楽曲解釈、基礎を徹底的に学んだそうじゃ。同時に、張先生の独自の教育理論、音楽と“気”との関係、生理学・物理学の見地から体を考える、芸術性とは何か、など、現在の指導方針の根幹となった様々な視点を、この時期に教わったということじゃった。そんな杉原さんに、普段の講師活動や演奏活動で、メイン楽器として使用しておる二胡を紹介してほしいとお願いしたところ、幾つか紹介できると言われ、待っておると、押し入れの中からじゃんじゃん名器が飛び出してきたぞ!!(感動)そんな訳で、今回では全て紹介しきれないため(苦笑)、次回にわたり、杉原さんがこれまで使用してきた楽器を、変遷の歴史とともに、前編・後編に分けて紹介させてもらうことにしよう。
陸林生監修 紅木二胡全体 |
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杉原圭子先生:そもそもの始めは、日本の琵琶をやりたくて京都市内の楽器店をのぞいたところ、“琵琶あります”と宣伝されていて、習うことにしたのですが、それが中国琵琶でした(笑)。琵琶がきっかけで中国音楽に入ったのですが、中国では昔は専業楽器一種類だけではなく、数種の楽器を弾くのが普通だった時代があったようなので、その楽器店の先生から、“琵琶を弾くなら二胡も弾けた方がいいよ”、と言われ、簡単な気持ちで二胡も始めました。その後、暫く同じ先生から二胡も習ったのですが、細かい技法まで教えてもらえずに物足りなさを感じていました。日本で楽器のことを勉強するにつけ、劉天華学派の考え方に傾倒していた私は、劉天華の孫弟子に当たる張韶先生に習っていたことのあるその先生に思い切って相談したところ、張先生を紹介してもらえることになり、北京への留学を決意しました。その頃、日本で最初に購入して使用していたのが、上海民族楽器一廠“敦煌”牌の紅木二胡や、陸林生監修 紅木二胡で、その次に、当時の先生から紹介されたのが、陸林生精製 老紅木二胡でした。この楽器は北京にも持って行き、使うことになったのですが、当時はやや高音部が出にくく、上海では、ある奏者のおじさんに音色についてつっこまれたりしました(苦笑)。劉天華は、その土地の音楽を大事にしながら、外国の音楽を取り入れる力があり、教育にも熱心でした。劉天華学派の張韶先生も、中国の伝統的な音楽を大事にしながら、クラシックなど外来の音楽を取りれ、楽器の改良や奏法の変容に尽力されました。また、教育方針も、劉天華や愛弟子の先生方の影響を受けて、お弟子さんを育てる姿勢にはとても情熱的なものがありました。総合的な視点を持った方で、中国音楽を学ぶなら、3つの倉(民歌・戯曲・民間音楽)をのぞくべきであるとの助言をいただき、民間音楽や戯曲などにも親しみました。また、張先生より紹介され、単発的に、北京あるいは各地で、様々な年代の先生方に曲ごとに師事しました。この頃、北京式の楽器も使ってみたら、ということで張先生より紹介されたのが、製作者不詳の北京式八角紫檀二胡でした。また、移動したりするなら持っていた方がいいじゃない?ということで、この一風変わったイミテーション蛇皮の北京式金属軸糸巻き八角黒檀二胡も譲っていただいたんです。 |