いざ、名門「中央音楽学院」へ!
残暑の厳しい2006年9月2日、中国政府奨学金生(全額免除)として、私は北京国際空港に到着した。留学理由は?
たった二本の弦しかないのに、この小さな音窓から出る美しい旋律は、とても素敵。大好きなこの音色を奏でたい。二胡は日本でも学んでいたけれど、もっと上手くなりたいし、何より本場中国で本物の二胡を習いたかった。そんな思いを抱いて、私の二胡の旅路はスタートした。
私の生まれは中国北京。でもあまり印象はない。というのも3歳から5歳まで上海と天津で祖母に育てられたから。7歳前に日本へ来て、以後高校までずっと日本で育ち、後に帰化(日本国籍になること)。揚琴奏者である母の影響により幼少の頃から中国音楽は私にとって常に身近な存在だったけど、中国での生活はある意味初めて。
希望と同じぐらいに不安も抱えて、北京西便門にある中央音楽学院に来た。この大学は中国において音楽ではトップレベル。言うなれば、日本の芸大的存在の大学である。
名前がない?!
忘れもしない9月3日。「報到」と呼ばれる、到着の届けを出しに教務課に行った時のこと。
「あの、すみません、海外留学生の平野ですが、報到にきました!」
「留学生ね、名前なに?」と教務課の担当者はリストを取り出しながら訊いてきた。
「平野優紀です。日本からの留学生です。」
「ん…、ないね、このリストにはないわ。ちょっと隣の部屋の王先生に訊いて。はい、混んでるから次!」と流されてしまった…。
仕方がない、隣の部屋の王先生の部屋に行く。
「あの、日本人留学生の平野ですが、報到に来たのですが、リストに名前がないって言われたんですけど…。」
プルルル… 電話が鳴る。
「 ?(ウェイ/もしもし)」
「うん、うん」
と10分ほど話し続けている。そしてやっと切れたら
「えっ、それで何がないんだって?」 と聞き返された。
「えっ、ですから、留学生で来たんですけど、リストに名前がないっていわれたんですけど…。」
「ふ〜ん、入学許可証は?」
慌ててカバンから取り出す。
「ふ〜ん、何かの間違いじゃないかねぇ?本当に受かったの?受かってるんならリストに名前があるはずだし、ちょっとここじゃわからないから5階の留学生宿舎に行って訊いてみてよ。」
…一瞬、母と私の背中に冷や汗が流れた。準備万端、荷物をまとめて、一年のオープンチケットを買って、はるばる日本から来たのに、そんな…。
さっそく5階の留学生宿舎受付に行き確認をとってみる…。
「平野優紀さんね、あるわよ。部屋はえっと、515号室、これ鍵ね。」
「は、はぁ…助かった。やっぱり何かの間違いだったのか」とほっと一息。
北京の「小衣屋」って?
515号室は騒がしい共同キッチンの向かいの部屋で、鍵を開けると、朝なのにしっかりとカーテンを閉めている暗い部屋。
よく見ると…中からモゾモゾ何かが動き出した?!
「ヒ、ヒィーッ!!!なに?」
よく見るとロングヘアーの女の子?そう、彼女はマレーシアから来たピアノ科の留学生、セリン。私のルームメイトだったのだ。さっそく彼女にベッドシーツの購入場所を聞いてみた。近くにある国華商場という庶民のデパートで売っているとのこと。私はそこでシーツセットを購入した。240元(日本円で3000円弱)だった。
こうして私の寮生活が始まった。留学生寮ではシンガポール、マレーシア、台湾、韓国など様々な国からの留学生が集まり、にぎわっていた。
新学期がスタートし、初めて会う留学生以外のクラスメイトたち。
私は「五線譜ノートやペンを買いたいんだけど、どこに行ったら買える?」と隣に座っていた男の子に聞いてみた。
「小衣屋(シャオ イーウー)がいいよ!みんなそこで買ってる」
「小衣屋?」
後日、その小衣屋と呼ばれる、まさに何でも売っている激安市場のような商店街で、なんと私は国華商場で買ったものと全く同じシーツセットが、約4分の1の価格で売られていたのを発見!なっ、なんなんだ、この差は…。再びショックを受けるのであった…。
平野 優紀(ヒラノ ユキ)/ 芸名 オウセイ
中国生まれ、日本育ちの二胡奏者。江南絲竹の名門の出である母の影響のもと、幼少より中国音楽に親しむ。2006年中国政府奨学金生(全額免除)として中央音楽学院に留学。2010年卒業し、本格的に活動を開始する。同年11月紀尾井ホールにてリサイタルを行い、ファーストアルバム「花韻」を発売。現在、二胡の講師として教える傍ら、様々なコラボレーションを通じて、日中の架け橋になりたいと願っている若手二胡奏者の一人である。