読者の皆様へ「お詫び」
小誌第34号(2014年11,12月号)P.44、45の「Nikopedia二胡雑学随想」におきまして、手違いにより前号と同じ内容を掲載してしまいました。読者の皆様には多大なご迷惑をお掛けし、深くお詫び申し上げます。
つきましては全文をこちらのページに掲載致しますので、ご参照頂けますようお願い致します。
今後は、このようなミスを犯さぬよう、鋭意努めますので、何卒ご寛恕のほど、切にお願い申し上げます。
2014年11月17日 『二胡之友』編集部
(以下第34号全文)
「Nikopedia」は、二胡にまつわる雑学や動向などを随想形式でお届けしています。話はあちこちに飛びますので、気軽に読んでください。今回のテーマは2つで「民族紛争」と「チベット仏教」です
民族と国境と宗教
現在も世界で民族紛争が続いています。その一つが「ウクライナ紛争」です。
かつてウクライナ地域の諸侯は、リトアニア大公国やポーランド王国に属していました。そして17世紀から18世紀の間にはウクライナ・コサックの国家が成立し、その後ロシア帝国の支配下に入りました。第一次世界大戦後にウクライナは独立を宣言したのですが、それもつかの間、ソビエト連邦の構成国にされてしまいました。しかしソ連の崩壊により、やっと本格的な独立が叶いました。
こうした歴史のために、ウクライナの東と西とでは全く異なる地域文化を持つようになってしまいました。
ウクライナの東側は、ロシア系の移民が大半であり、ロシアからの保護・恩恵を受け、多くのウクライナ人は日常的にロシア語を話し、ロシアに好感を持っています。しかし、ガリツィア地方と呼ばれる西側は、ウクライナ語を話すウクライナ人の土地であり、ロシアからの差別を受けていたことから、ロシアを嫌うようになってしまいました。また欧米からの支援もあり、よりいっそう嫌ロシアに傾きました。
こうしたウクライナの東西に文化的・歴史的な差異がある中、ソ連のスターリン時代に「ホロドモール」が起きました。これはウクライナ人たちが強制移住により、家畜や農地を奪われ大飢饉が発生し、最大で1,450万人が死亡したと言われた事件です。この大飢饉は、スターリンによる計画的な虐殺だとも言われています。
さらにウクライナではチェルノブイリ原発事故があり、ソ連は被災者に補償を約束していたのですが、ソ連崩壊で結局、ウクライナが事後の処理や保障を担い、ウクライナの国家財政は破産同然になっています。また、東側にはロシアの軍産複合体や宇宙関連企業があり、さらに豊富な地下資源(天然ガス)が埋蔵されていることから、この地下資源をめぐって、近年、欧米とロシアが強引な綱引きを始めたのです。
なぜにウクライナはこうした民族紛争に見舞われることになったのでしょうか? 答えは様々あるでしょうが、私は、「民族と国境と宗教」が原因だと思います。
ウクライナは、東ヨーロッパの国です。東にロシア連邦、西にハンガリーやポーランド、スロバキア、ルーマニア、モルドバ、北にベラルーシ、南に黒海を挟みトルコが位置しています。ウクライナの命運は、近隣諸国の思惑、軍事力と経済力のパワーバランスで決まってしまいます。そしてウクライナ人の中で、恩恵を受け強者となる者、また弱者として差別される者とが、東と西の地域として区別されてしまいました。この「線引き」が問題なのです。さらに宗教が問題を複雑にします。東側のウクライナ人の大多数はロシア正教徒で、西側の多くはカトリック信者なのです。
こうしたことは、世界各国で起きています。
先日、スコットランドの独立の賛否を問う住民投票が行われ、独立派の夢が叶いませんでしたが、ここもウクライナと同じ問題を抱えています。民族的にはウクライナの場合ほど隔たりがなくとも、イギリス(正式名称はグレートブリテン及び北アイルランド連合王国)という大国の思惑、利害や宗教の違いが国家を引き裂きます。
またユーゴスラビアも同じです。「7つの国境、6つの共和国、5つの民族、4つの言語、3つの宗教、2つの文字を持つ、1つの国家」と表現される地域です。それがゆえに血で血を洗う悲惨な戦いが繰り広げられました。今もその病根は残ったままです。
私たちは、無頓着に「○○国の音楽」と称して、その音楽を楽しみます。しかしその「国」の裏には、「民族」があり「地域」があり「宗教」があり「利害」があり「歴史」があります。そして多くはそれらが混在し問題を複雑にしています。実に厄介です。
たとえば「中国民族音楽の夕べ」というタイトルの音楽会があったとします。その中の演目で、ウイグル族やチベット族やモンゴル族の音楽をどのように扱えばよいのか…、とても繊細な問題となります。或いは、「中国音楽の夕べ」と銘打った上で、サブタイトルで「チベットの響き」などとしたら違和感はないでしょうか?
日本の場合はどうでしょう?「日本音楽の夕べ 沖縄島唄の響き」「日本音楽の夕べ アイヌ音楽の響き」は、可能でしょうか? 私は、安易に「いいね !」とは答えられない気がします。沖縄には、琉球王国がありましたが、1609年に日本の薩摩藩の軍事侵攻を受けて薩摩藩の付庸国(植民地)となりました。アイヌの場合、かつては松前藩が権益を握り、武力で支配していました。
二胡を学び、中国音楽を楽しんでいる私たちは、民族と音楽について、もっと注意深く考える必要があるのではないでしょうか。
チベット仏教の僧侶
話は変わります。チベットについて、私はこれまでチベットの伝統の歌を歌うソナム・ギャルモさんという女性を知っている程度で、広くチベットの人と接する機会はありませんでした。ギャルモさんは、チベット亡命政府のあるインド・ダラムサラの近郊にあるビール村から日本に来た難民3世です。素朴ですが、とても力強い歌声に、毎回、感動を覚えます。また彼女の考え方や生きる姿勢が素朴であり純粋なのです。それを見ていてチベットの人々に少なからず興味を持っていました。
そして先日、チベット仏教のチベット人僧侶の方とお会いする機会がありました。友人に連れられ、東京新宿のとあるマンションの一室に伺いました。マンションのドアの上には「アズタ顕密仏教センター」という小さな看板がかかっており、部屋に入ると寺院のようなしつらえがなされていました。
ここでお会いした僧侶は、チベット語で「リンポチェ」と呼ばれる方でした。「リンポチェ」とは、「如意宝珠」の意味をもつ傑出した仏道修行者に与えられる尊称だそうです。お会いした僧侶リンポチェは、VEN KHENTRUL師というお名前で、チベットで厳しい修行を積んだとのことでした。
不思議に思ったのは、このチベット人僧侶VEN KHENTRUL師は現在、台湾で布教活動をしていることです。そして年に何回か日本も訪れているそうで、日本では、台湾人、中国人など主として女性の信者が、僧侶にお仕えしています。
私はVEN KHENTRUL師に「インド仏教とチベット仏教の違いはありますか?」とお訊きしてみました。すると、「差はありません。チベット仏教は、もともとインド仏教の僧侶をチベットにお呼びして直接指導を受けており、チベット人僧侶もインドの寺院に直接修行に行ったので、教えに違いはありません。ただ衣装が少し異なるだけです。」とのことでした。
なぜこうした質問をしたかといえば、日本の仏教は、インド仏教とはだいぶ異なっているからです。インド仏教は中国で漢字と出逢い、また中国人の思想も加えられているため、だいぶ変容(進化?)しています。そしてその一部が朝鮮半島を経て日本に伝えられ、日本においてさらに独自な発達をしました。ですから、日本では、インドにも中国にも韓国にもない斬新な仏教が花開いています。
一方、チベット仏教は、VEN KHENTRUL師によれば、少なくともチベットに伝えられた時期(7世紀)のインド仏教がそのまま現在まで伝えられているとのことでした。
チベット仏教はチベット密教と言われるほど密教とのかかわりが強いと言われていますが、日本において密教といえば、平安時代の大天才・弘法大師こと空海を思い起こします。空海は中国より密教をもたらしました。しかし中国ではその後、密教は衰退してしまい、本家であるインドでも密教は廃れます。現在、日本とチベットにだけ、密教が残されていると言ってよいでしょう。
民族音楽や伝統音楽を語る時、時代の変遷も重要ですが、伝達経路もきわめて重要だと思います。中央アジア、西アジア、南アジアで発生した音楽文化は、中国、朝鮮半島、そして日本へと辿る経路で伝達しました。この時間と地域を経て、音楽文化はその時代の空気を吸い、その地域の魂を得つつ、衰退もし、成熟もし、また変容もしてゆきます。このように考えると、日本に生き続いている音楽文化の中には仏教と同様に、それがあること自体、奇跡的なものもあり、感動すら覚えます。
話は変わりますが、二胡という楽器と音楽について、この20年間を振り返ると、日本においては黎明期を過ぎ、現在は第一次の隆盛期も過ぎたとも思われます。しかし、そういう時期だからこそ、日本における二胡が、地に足をつけて歩み始める本格的な時代の到来の予感がします。
中国から伝播した仏教が日本で独自の進化をし、大きく発展を遂げたように、二胡という楽器と音楽は、新しいステージに入ろうとしているのではないでしょうか。
日本において奈良仏教を整備した中国僧・鑑真和上の功績は図り知れませんが、平安仏教では、前述の空海が真言宗を、最澄が天台宗を興しました。歴史の中で、ここまでは天皇や貴族など支配階級の護国仏教だったものが、その後、鎌倉仏教になると、民衆の仏教として日本全国に広がりました。そして、法然、親鸞、栄西、道元、日蓮、一遍など、次々と巨星が誕生し、仏教は初めて日本人の宗教として定まってゆきました。
そして、あくまでも私見ながら...二胡については、中国の楽器、中国の音楽という、輸入品、外来文化として扱われた時代はそろそろ終りを告げ、日本において新たなステージ、即ち、日本の民衆文化として、さらなる発展を遂げる途上にあると、私は秘かに胸を躍らせているのです。
チベット仏教の僧侶にお会いした事から、大分話がそれました。些か想像の翼を拡げすぎたかもしれません、悪しからず。
チェン・シェンシン :中国文化専門のライター。持って生まれた好奇心と広範な人脈を武器に、古典文化からサブカルチャーまで、中国文化に関する事は何でもターゲットに渉猟する。周囲からは「教えたがりが少々面倒くさい」と言われながらも、日々中国文化雑学情報の発信を続ける。